ARRは年間経常収益と呼ばれる、毎年の安定した利益を表す指標です。初期費用や一時的な増額・減額を取り除いた、継続して得られる売上のみ算出対象としています。
本記事ではARRの定義や、SaaS企業で重要とされる理由、計算方法などを解説します。
ARRとは
ARRとは「Annual Recurring Revenue(年間経常利益)」の略で、毎年安定して獲得できる利益のことを指します。具体的には、事業の継続性や成長性、効率性を表す指標です。似ている言葉のMRRや売上高との違いを把握し、ARRへの理解を深めましょう。
MRRとARRの違い
MRR(月次経常収益)とは、企業が毎月決まって得られる1か月分の利益や売上のことです。ARRとは評価期間が異なるだけで、事業の成長性をはかる指標である点は変わりません。
MRRは契約・解約のスパンが短いスタートアップで重視される傾向があり、ARRは年単位のサブスクリプションモデルで重んじられます。しかし、どちらか片方だけを選んで測定するのではなく、両方とも算出されるのが一般的です。
最終的に重視する指標は、企業のビジネスモデルや商材によって違いが生じます。MRRの計算式はいたってシンプルで、ARR÷12で算出します。
売上高とARRの違い
年間の経常収益を表すARRは売上高と同じに思いますが、時間軸で整理すると違いがわかります。計測期間内の売上を示す売上高は、現在から過去を振り返る「結果」です。一方のARR・MRRは、現在から未来を見据えた「予測値」の指標であるという違いがあります。
売上高は当初想定していなかったラッキー、またはアンラッキーな不測の事情が含まれるのが特徴です。実績ベースの指標となり、予測できなかった上揺れや下揺れもカウントします。
一方のARRは、初期費用やスポットでの契約を除く、毎月安定的に得られる収益の予測値です。現状のパフォーマンスを将来も維持できると仮定して、1年後はどの程度の売上が見込めるか、予測をする際に用いられます。
以上のように、売上高とARRは利益の対象や測定の目的が異なります。
ARRがSaaS企業で重要とされる理由
ARRがSaaS企業と相性がよいとされるのは、次のようにさまざまな用途で役立つ指標だからです。
- サービスの成長性や将来予測に利用できる
- KPIの設定に利用する
- 企業の時価価値の計算に利用できる
- 企業の成長度を把握できる
- 売上見込みの計算に使える
それぞれの詳細を解説します。
サービスの成長性や収益予測などの予測に利用する
継続利用が前提のSaaSモデルでは従来の売り切り形とは異なり、直近の売上や利益だけでは将来予測ができません。ARR からサービスの成長性を知ることで、将来的にどの程度の売上が立つか正確な予測が可能です。
目先の売上に捉われない中長期の経営予測が実現し、適切な経営資源の配分にもつながります。ソフトウェアが主流で目にみえない商材を扱うSaaSビジネスでは、目視で在庫の変化を把握できません。
顧客の増加や既存顧客のアップグレード、ダウングレード・解約などの実測値をベースに、精度が高い将来予測を行うことが重要視されます。
KPIの設定に利用する
「1年後のARRは前年度比120%を目指す」というように、KPIの設定に活用できます。KPI(Key Performance Indicator)は、最終的なゴールへの達成度合いを表す指標で、事業と関連性が高い目標を掲げるものです。
SaaS企業では安定した成長が一つの重要な目標となるため、ARRをKPIに設定するケースが多々みられます。数値ベースの客観的な基準で目標値を表せることから、社内での共有にも適しています。
企業の時価総額の計算に利用できる
ARRは提供した資金を回収できる可能性が高いか、投資価値の判断にも使われます。具体的にはバリエーション(時価総額)を算定する用途です。今までの安定的な推移をベースに将来の利益予測を正確に行えることから、ARRは投資判断に適切な指標だとされます。
事業が未成熟なスタートアップに投資家が資金を提供するのは、製品開発やマーケティング施策が効果を発揮し、後々投資額以上の利益を得られると期待しているためです。
投資家が企業価値の判断の拠り所とする指標には、総収益(Total revenue)も存在します。しかし、トータルの売上にはサブスクリプションモデル以外で得た収益も含まれ、安定した売上の把握には適していません。
ある企業が次年度以降に獲得する売上見込み高を正確に把握したいなら、ARRは外せない指標です。
企業の成長を確認できる
ARRを把握し、数年間の推移を見比べることで成長性を可視化できます。グラフを作成すれば、年間でどの程度成長したか一目で把握できるでしょう。ARRが安定的に右肩上がりで推移する企業は、継続的に好ましい成果を出していると判断できます。
戦略の方向性が正しく、経営判断に成功したと断じても差し支えないでしょう。月単位の成長度を知りたい場合、ARRを分解して、ARRを見比べるのがおすすめです。短期・長期の双方で成長性を把握する際は、ARRとMRRの双方で分析を行います。
SaaS企業は事業が軌道に乗っていないフェーズが多く、非上場企業が大半です。製品開発や販促に必要な資金を確保するには、ベンチャーキャピタルや金融機関からの資金調達が求められます。ARRを利用すれば、企業の成長性を加味した正確な投資判断が可能です。
売上見込みの計算に利用できる
ARRの推移から売上の概算を把握して、事業計画の策定やキャッシュフローの予測に活用できます。SaaSビジネスでは、同じサービスで期間や料金が異なる複数のプランがあるケースも珍しくありません。
料金は高くても機能が豊富な商品を選択するか、機能は限定されても安価なプランを選択するかは、人それぞれです。グレードが低いプランでは1か月、高いプランでは6か月以上というように期間が異なるラインアップを揃える場合もあります。
ARRでの需要予測はさまざまなサービスを提供していても、売上の概算値を簡単に算出できるのが特徴です。サービスごとに過去1年間の実績を合計して平均を割り出せば、大局的な視点から、的を射た需要予測が可能です。
ARR の計算方法
ARRには年間の収益から算出する方法と、MRRから算出する方法の2つがあります。単一の指標で年間の推移をみればよい前者のほうが算出の手間は少ない傾向があります。しかし、実際にはMRRも分析対象となるケースがほとんどです。
どちらの方法も、使いこなせるほうが正確な測定につながります。年間の収益ならびに、MRRからARRを求める計算方法を解説します。
年間の収益からARRを算出する方法
年間の収益からARRを算出する際の計算式は、次のとおりです。
ARR = (前年のサブスクリプション総収益 + 製品やサービスのアップグレードや新規顧客獲得による増益分) -ダウングレードや解約による損益分
年間収益からARRを求める方法は、計算の簡便さが特徴です。一つの企業との長期間にわたる契約がメインの場合や、MRRをとくに求めない場合に適した方法です。
ARRには毎年継続かつ安定して得られる利益に加えて、既存顧客が課金額を増やした、いわゆる上位プランへ変更した金額も含まれます。
また、ダウングレードによる既存顧客の課金額の減少および解約による損益を差し引きしないといけません。一方で、初期費用やコンサルティングの報酬などの一時的な課金は含めないのも特徴です。財務諸表に記す売上高とARRは、一致しないことに注意しましょう。
MRRからARRを算出する方法
各月のMRRからARRを算出する際の計算式は、次のとおりです。
ARR = MRR × 12か月
はじめにMRRを計算できれば、非常にシンプルな計算で済むのがわかります。MRRは端的にいえば、ARRを12等分した指標です。計算式は対象の期間が異なること以外は、まったく同じです。
MRR = (前月のサブスクリプション総収益 +製品やサービスのアップグレードや新規顧客獲得による増益分) -ダウングレードや解約による損益分
先にMRRを算出してから、計算値をもとにARRを計算します。注意点は月ごとのボラティリティ(変動)が激しい場合、正確な数字を算出できない恐れがあることです。対象期間によってARRが大きく変わるため、必然的に将来予測の精度が落ちる傾向があります。
ARRを向上させる方法
事業の成長性や将来性を高めるには、ARRを伸ばす施策の立案・実行が有効です。うまく効果が出れば、資金調達が容易になる、時価総額で公に成長をアピールできるなどのメリットが生まれます。
数あるマーケティング施策のうち、ARRの向上と親和性が高いのは「新規顧客の獲得」「既存顧客をアップグレードする」「解約やダウングレードを減らす」です。それぞれ理由や具体的な対策を紹介します。
新規顧客を獲得する
新規顧客の獲得は、ARRを大幅に増やす効果も期待できる施策です。とくに成長フェーズのスタートアップでは、新しい顧客の増加に励むことが数値の向上に目覚ましいインパクトをもたらします。
Web広告の出稿やキャンペーンの実施は一時的には費用が嵩みますが、投じたコスト以上の見返りを得られる可能性があります。新規顧客の獲得に資する施策のうち、ここではフリーミアムモデルをみてみましょう。
フリーミアムとは基本機能のみ備えた商品を無料で提供し、より機能が豊富な有料サービスの購入を目指すマーケティング手法のことです。顧客はお金をかけずに商品を利用できることから、ハードルが低いまま、気軽にお試しの機会を得られます。
フリーミアムモデルでは短期では赤字を迫られますが、ブランドや企業価値が向上するため、中長期的な視点では競争優位性を確保しやすい方法です。新規顧客の獲得における、基本のアプローチは営業活動です。
営業にはインバウンドとアウトバウンドがあり、顧客からの問い合わせを誘導するインバウンド施策に注力したほうがよいとされます。
テレアポやダイレクトメールで、直接見込み顧客と接触をとるアウトバンド形の手法は成果が出ない場合が多く、コストパフォーマンスが落ちる傾向があるためです。
既存顧客をアップグレードする
既存顧客のアップグレード(アップセル/クロスセル)も、ARRを大きく伸長する施策です。新規顧客の獲得は既存顧客の維持に比べて5倍のコストがかかるのは、マーケティングの世界では広く知られています。
契約中の顧客に向けて、上位プランへの変更や関連商品の追加購入を達成できれば、低コストで効率的に売上を伸ばせます。既存顧客に対する利益の比率を高めると、アップグレードが成功しやすい顧客の年代や性別がみえてくるでしょう。
次なるターゲットの選定にも活かせるのは、アップセルやクロスセルに注力する強みです。既存顧客向けのマーケティングを成功に導くには、顧客エンゲージメント改善の視点が欠かせません。
顧客との関係性を良好に保ち、他のサービスとは一線を画す稀有な体験を提供すれば、中長期的で利用を継続してもらえるでしょう。顧客のニーズに沿った提案を行うためには、顧客理解が重要です。
既存顧客が何を求めているか把握し、ときには当人さえ気付いていない本質的な欲求に訴えかければ、自然にアップグレードは成功するでしょう。
既存顧客の解約やダウングレードを減らす
ARRの向上には、ネガティブ要素を改善する方向での施策の展開も求められます。解約数が少ないサービスは新規顧客の増大に獲得に比例して、順調に売上が伸びていきます。
一方で、解約数が多いサービスはたとえ新たに顧客を獲得していても、総顧客数ベースでは減少し、企業成長は鈍化するでしょう。既存顧客の解約やダウングレードの減少にはサービスの平均契約期間が伸長し、LTV(顧客生涯価値)の改善にも効果を発揮します。
解約が頻発する状況は、顧客が求めるニーズと商品の提供価値がマッチしていないことに起因します。既存顧客への理解を怠り、何を求めているか分からないのかもしれません。顧客ロイヤリティ(忠実性)を高め、商品の機能性や価格以上の体験を提供することが一つの解決策です。
解約やダウングレードの増加に悩んでいるならば、まずは顧客理解を深める意識をもって、関わり方や施策を見直してみてはいかがでしょうか。
今までと根本的に異なる商材を提供したり、ペルソナ像を新たに設定したりと抜本的な変革を行う場合でない限り、既存顧客は重要な存在です。
積極的かつ継続して顧客と関わることで、至高の成功体験に誘導し、適切なアドバイスを与えられれば解約数の減少に直結します。
ARRと関連性がある指標
ARR以外にも、SaaSやサブスクリプションモデルと関連性がある指標が存在します。ARRを単体で計測しても、精度の高い将来予測や経営判断にはつながらないため、複数の指標を組み合わせた分析が必要です。
ARRと関連性が高い指標は、次の5つです。
- MRR(月間経常収益)
- Churn Rate(解約率)
- ARPU(ユーザー平均単価)
- LTV(顧客生涯価値)
- Expansion Revenue(既存顧客からの追加収益)
それぞれの指標の定義や、ARRとの関連性について解説します。
MRR
ARRは月間経常収益を表すMRRと同時に、計測するのが一般的です。2つでセットだと捉えてもよいでしょう。新規に事業を立ち上げたばかりのスタートアップやベンチャーでは、MRRの変動が著しくなります。
KPIにARRを設定していても、月間経常収益も合わせて把握し、短期の需要予測に役立てましょう。次の月、その次の月、そのまた次の月と順調にMRRが伸びていれば、12か月分のトータルであるARRも伸長すると判断できます。
目先の利益と中長期的な利益の双方を把握することで、早い段階での正確な将来予測がしやすくなります。
MRRは、SaaS Quick Ratioの算出にも必要な指標です。特定の期間内に獲得した収益と損失の比率を表した指標で、ビジネスの健全性や将来性を測定する際に用いられます。
四半期ごとや上半期・下半期でSaaS Quick Ratioを算出する場合、ARRでは間に合わないため、ARRが使用されます。
Churn Rate
Churn Rateは解約率を表す指標で、既存顧客が収益を支えるサブスクリプションモデルでは重要な指標です。一般的には、月ごとの解約率は10%を下回るのが好ましいとされます。安定して10%以下を達成し続ける企業は、成長性や収益性が高いと判断して問題ありません。
Churn Rateは、提供しているサブスクリプション製品の顧客満足度を表しています。解約率の低さは、既存の顧客がサービスに満足し、信頼や安心感を抱いている証拠です。チャーンレートは顧客数をベースに算出するカスタマーチャーンレートと、収益ベースのリベニューチャーンレートに分かれます。
SaaS企業の売上が落ちる原因は、解約以外にもダウングレードも対象です。課金額が減少した顧客を含む利益のインパクトが知りたい場合、リベニューチャーンレートの組み込みが求められます。
Churn Rateの詳しい計算方法や改善のポイントが知りたい方は、次の記事をご覧ください。
ARPU
ARPU(Average Revenue Per User)は、顧客1人当たりから得られた売上を表す指標です。サービスの総収益をユーザー数で割るという、シンプルな計算式で算出します。ARPUは、将来的に顧客から得られる収益を知りたいときに効果を発揮します。
たとえば、ユーザー平均単価を5,000円とした場合、期間内に50人の新規顧客の獲得を見込んだときの売上アップの予測額は250,000円です。解約率と合わせて活用することで、より具体的な数値予測が実現します。
顧客数が100人で解約率が10%だとしたら、計算上、5,000×10人=50,000円の売上減少が起きるとわかります。ARPUに焦点を当てることで、目標の売上額を達成するには顧客をあと何人集めればよいか、解約率をどの程度改善すればよいか把握できるでしょう。
ARPに加えてARPUも把握するメリットは、売上の増加(減少)が起きた原因をつかみやすい点にあります。
単に年間の安定的な売上が伸びたではなく、向上した要因まで分かれば、施策の立案で役立つでしょう。たとえば新規アカウント数の伸びに比べて、ARPUの伸長の程度が弱い場合、単価が低い顧客層で増加が起きたと考えられます。
LTV
LTV(顧客生涯価値)は、ある顧客が契約から取引終了までに企業にもたらす価値の総額を示します。ARRとLTVは、将来的にユーザーから得られる利益の予測という点で共通しています。
どちらも戦略や、方針の策定に役立つものだと捉えることが可能です。ただしLTVは、マーケティングでどの層に注力すると効率的に成果を出せるかという判断に用いられるのが特徴です。
ひとえに既存顧客と一括りにしても、長年サービスの利用を続けるお得意様と、スポットの利用で利益への影響は薄い一般顧客に分類されます。すべての顧客のうち、自社に投じる金額が大きい企業に向けてマーケティング施策を実施したほうが、売上の増加に直結します。
営業やマーケティングのペルソナを明確にし、深く刺さる施策の立案が可能になるのはLTVの特色です。成長性や収益の予測、ビジネスモデルの成否など、事業そのものに焦点を当てるARRとは根本的に異なる概念だといえます。
LTVの詳細や向上に役立つ施策が知りたい方は、次の記事をご覧ください。
Expansion Revenue
Expansion Revenueは、アップセルやクロスセルなど既存の顧客から追加で得られる収益です。ARRの構成要素の一つで、既存顧客への提案が成功して上位プランに変更となれば、ARRも上昇します。
提供中のサブスクリプションサービスと、直接関係がない機能やウィジェットの追加もExpansion Revenueの一つです。
新たな機能の提供を検討する際には、既存顧客への試験期間を設けて、エクスパンションMRRの推移を把握して、ユーザーの満足度を上げるものか判断に役立てられます。
Expansion Revenueは顧客の話に耳を傾け、ニーズに沿ったサービスを提供するうちに改善します。提供している製品の刷新を考える場合、解約率の変化も追わなくてはいけません。
既存顧客からより収益を得られる可能性が高まる代わりに、多くのユーザーを失う可能性もあるためです。他の顧客へのフォローも意識して複数の施策を講じれば、解約率の低下とExpansion Revenueの増加、双方を達成できるかもしれません。
ARRを活用して企業業績向上に役立てよう
ARRはサブスクリプションモデルの企業で、成長性や将来性の予測に用いられる重要な指標です。既存顧客の契約が将来も続くと仮定して、半年後や1年後も得られるであろう収益を算定します。
実体がないソフトウェア製品の商品価値を正確に表すほか、企業における時価総額の算定や事業計画の立案にいたるまで、さまざまな用途が存在します。
ARRを伸ばす基本的な方針は、新規顧客の獲得、既存顧客のアップグレード、解約やダウングレードの減少のいずれかです。月間経常収益を表すMRRや、解約率を示すChurn Rateなどの指標を合わせて追うことも重要です。
ぜひ本記事を参考に、ARRを有効活用して、業績向上につながる施策の立案に役立ててください。